こんにちは。
溝の口カイロプラクティック院 院長の松田です。
当院がある神奈川県川崎市高津区の「溝の口」。
地名や駅名の表現としては「溝口」「溝の口」「武蔵溝ノ口」「溝ノ口」「みぞのくち」と様々ありますがいつの頃からか「のくち」の愛称で呼ばれるようになった「溝の口」。
その「のくち」界隈をブラブラ散歩して紹介していけたらと思い、「のくちぃ散歩」を始めてみました。
以前、TV番組であったタイトルとかぶっているような気もしますが、それは気にしないとして・・・(笑)
「溝の口」と言えばJR南武線と東急線の改札を結ぶ「キラリデッキ」の東側にそびえ立つ「NOCTY(ノクティ)」。
このノクティも「のくち」+「CITY」から命名されたとか。
溝の口の駅前こそ、十数年前の再開発でガラッと様子が変わってしまいましたが、少し中の方へ進んでいくと昔から変わらない景色や顔もあります。
そんな新旧様々な顔を持つ溝の口をぶらぶら散策して紹介していきたいと思います。
大山街道 〜その4〜 【2013年7月30日】
7/28(日)は高津区民祭でした。
今回はその模様をある程度お伝えしようと思っていたのですが、開催時間内は一歩も外に出ることができませんでした。
仕事が終わって外に出てみると、屋台も片付けられ通行止めも解除され何事もなかったように車が通っていました。
まさに後の祭り…
パレードの音楽やお神輿を担ぐ威勢のよい声はたくさん聞こえてきたのですが。
ということで、またまた大山街道のぶらり散歩をお伝えしていこうと思います。
江戸時代からの薬屋
ということで、前回の続き、大山街道と府中街道の「高津」交差点から溝の口方向へ進んでみました。
通りのすぐ右側に江戸時代から続く薬屋「灰吹屋薬局」さんがあります。
おなじみの「川崎歴史ガイド」によりますと、
江戸時代からの薬屋
江戸期、この辺りで唯一つの薬屋だった「灰吹屋」。街道をゆく旅人はもちろん、小杉、登戸方面からも買いに来たという。今に残る蔵は、昭和三五年まで店として使われていた。
とありました。
この灰吹屋さん、溝の口界隈をはじめとして川崎市内にドラッグストアや調剤薬局として数店舗ありますね。こちらが本店だったのでしょう。
当時、大山道では青山からここまで薬屋が無いうえ、「灰吹屋の生薬はよく効く」と評判でとても繁盛していたそうです。
シャッターに綺麗に描かれた絵がとても印象的でした。
この蔵構えも、マンションが立ち並ぶこの通りの中で、当時の趣が残され心がなごみます。
大山小径
灰吹屋さんから大山街道を挟んで反対側には「大山小径」と名付けられた広場のような並木道があります。
タイル貼りの通路には、一番の「赤坂御門」をはじめ、左右交互に15枚の絵タイルが埋め込められ、一五番の「粕屋(大山不動へ二里)」までの絵タイルを踏み歩くと、18枚の絵タイルを組み込んだ大山寺雨降神社真景に到着します。
正面は大山全景、左下に江ノ島、右上に雲の富士山があり、コンパクトに大山詣りの疑似体験ができるというものです。
折角なので、ここでも大山詣りの疑似体験をしてみましょう。
この大山のタイル絵の奥には
「郷土の平和を祈って 私達の先輩は 戦没した祖国の平和を護って 犠牲者になり眠っている 世界の平和を念じて私達は永遠に忘れない」
と刻まれた慰霊碑が建てられていました。
また、その先には溝口南公園があり、またその奥には高津こども文化センターがあります。
当日はかなり暑い日でしたので、公園にはほとんど人影はありませんでした。
大山街道ふるさと館
さらに先に進むと、すぐ先右側に「大山街道ふるさと館」があります。このふるさと館は大山街道にまつわる民俗・自然などに関する貴重な歴史的資料などが保存、展示されています。
どなたでも無料で入館することができます。
今まで何度もふるさと館の前を通っていますが、一度も入ったことがありませんでした。今回は初めてお邪魔してみようと思います。
と、その前に、入り口向かって右側には高幡不動尊道の道標が建てられていました。。
この道標は元々、現在の場所より25mほど府中街道よりに建てられていたそうです。
そこが元々の大山道と府中道の交差点だったようで、大山街道と交差している小道は今の府中街道の旧道だったのですね。
この交差点から北西に進み、登戸を超え、稲城市、さらに多摩市を越えて高幡不動尊に到着する道標の役割を果たしていたのですね。
確かに今の府中街道をずーっと北西に進んでいくと高幡不動尊に到着します。
それでは中に入ってみましょう。
ひっそりとしているので、入ってよいのか躊躇してしまいますが、「中を見せていただいていいですか〜?」と事務所の方に声をかけると、「どうぞ〜」と、中へ。
通路の両側にはかなりの資料が展示されています。
その先には展示室があり、豊富な資料でいっぱいでした。
一日かけてじっくり見学したら、高津や大山街道のことで分からないことは何もない、というくらいの知識がつくのではないでしょうか。
今回は一通り眺めて退散してきましたが、また今度じっくり見学に来たいと思います。
大石橋〜二ヶ領用水〜
さらに進むと、二ヶ領用水にかかる石造りの橋があります。大石橋です。
その橋を渡る手前左側に、ここにも川崎歴史ガイド。
二ヶ領用水と大石橋
徳川家康の命を受け、代官小泉次太夫は、一四年に及ぶ難事業を完成。用水は、川崎のほぼ全域にあたる稲毛・川崎の二ヶ領を潤した。その本流は、ここ大石橋で大山街道と交わる。
とありました。
当時は二枚の大きな石でかけられていたことから大石橋と名付けられたそうです。
春にも紹介しましたが、この二ヶ領用水沿いには桜の季節には見事な枝垂桜で埋め尽くされます。
さらに進むと「溝口駅入口」の交差点へ。
この交差点を右に曲がると、すぐに溝の口カイロプラクティック院です。
また左に曲がると溝の口の駅へつながります。
この交差点の手前右角に前回紹介しました旅館の「亀屋」がありました。
今ではマンションになってしまっていますが。
今回はここまでにしましょう。
次回はさらに南西に進んでみます。
それから、8/17(土)は多摩川の花火大会があります。かなりの人手で賑わいます。こちらも楽しみですね。
多摩川花火大会予告 |
今回のお散歩マップ |
【お散歩日 2013年7月30日】
大山街道 〜その3〜 【2013年6月18日】
さてさて、今回の「のくちぃ散歩」は「大山街道〜その3〜」です。前回の飯島商店の大釜からさらに南へ下って高津方面へぶらりとしてみました。 |
溝口緑地と高津図書館
そのまま先に進んでいくと、大山街道の右側に「溝口緑地」と「高津図書館」があります。
写真のようにタイル貼りの通路の正面に図書館が、右側には緑に囲まれた広場があります。
溝口緑地は、この界隈ではかなりゆったりとした広さのある広場ではないでしょうか。
所々にベンチもあり、休憩している人、本を読んでいる人など、市民のくつろぎの場となっているようです。天気の良い日には、図書館で借りた本をゆっくりと読む、なんていうのもよい過ごし方ですね。
この広場へ入ってすぐのところに、明治時代の小説家の国木田独歩の碑が建てられています。
案内によると、
明治30年(1987)みぞれまじりの春に、国木田独歩が溝口を訪れた時に、当時旅館であった溝口の亀屋に一泊しました。
このことは独歩の作品「忘れ得ぬ人々」のモデルとなり、この作品によって明治文壇に不動の地位を築きました。
独歩と亀屋の関係を後世に記念するため、当時の亀屋主人、鈴木久吉が建碑を計画しましたが、志なかばで世を去りました。
彼の俳友達が意思を継ぎ、独歩27回忌を記念して昭和9年(1934)夏、亀屋の前に碑を建てました。
題字は島崎藤村が書いたものです。
とあります。
ここで出てくる「亀屋」は、当院、溝の口カイロプラクティック院のあるビルとその周辺のマンションの建っているところにあったそうです。
その後、江戸時代からあった旅館の亀屋は「亀屋会館」と名を変えて、結婚式場や催し物ホールとして営業していましたが、十数年前に閉館しました。
そのときに、ここに建てられていたこの碑が溝口緑地に移設されたとのことです。
「RELATIONS」と書かれた像 |
岡本かの子 歌碑 |
また、公園内には他にも碑や像が建てられています。
説明書きが無かったので、なんの像なのか分かりませんでしたが、台座には「RELATIONS」と彫られていました。また、「岡本かのこ 歌碑」もありました。
高津図書館 |
読書 |
この溝口緑地の奥には高津図書館があります。
この図書館は川崎市民であればどなたでも本を借りることができます。
また、川崎市外の方でも川崎市内に通勤、通学をしていれば借りることができます。
私も川崎市外の住民ですが、利用者登録をして利用させていただいています。
また、図書館入り口付近には「読書」というタイトルの像が建てられていました。
題字には「川崎市長 伊藤三郎」とあり、先々代の川崎市長ですね。
蔵造りの店 タナカヤ呉服店
大山街道へ戻り、少し進んでいくと、右側にまたまた見慣れてきた「川崎市歴史ガイド」の標識がありました。
「蔵造りの店」
重い瓦屋根と土の壁、母屋との境には厚い土戸。二階には頑丈な格子窓。防火、防犯など蔵の特徴を生かした重厚な店構え。田中呉服店は、明治に建築された代表的な蔵造りの店である。
と、書かれてあります。
釘を一本も使っていないそうですが、関東大震災にも耐えたのでしょうから、昔ながらの作りの家は頑丈に作れらていたのでしょうね。
これぞ日本の住宅といった感じです。
しかし、2階にはエアコンの室外機が置いてあったので、この昨今の異常な夏の暑さには現在の設備も取り入れていかないと生活はできないのでしょうね。
このままさらに進んでいくと府中街道の「高津」交差点へ出ます。
今回はここまでにしておきましょう。
高津交差点に出ました |
今回のお散歩マップです |
次回はこの府中街道より先へ進んでみます。
もしくは、7月28日(日)に、この大山街道を中心に高津区民祭が行われる予定なので、そちらにくり出してみるかもしれません。
この高津区民祭ですが、高津区民祭実行委員会に問い合わせをしたところ、今日現在のところまだ日程は決定はしておらず、参議院選挙と重ならない限りはこの日程でいくとご回答をいただきました。
また、もし選挙日と重なってしまった場合には8月4日(日)に順延するとのことです。
ではまた。
【お散歩日 2013年6月18日】
大山街道 〜その2〜 【2013年5月17日】
さて、今回の「のくちぃ散歩」は「大山街道〜その2〜」です。前回の二子神社から大山街道をさらに南下して高津方面へぶらりとしてみました。 |
光明寺
少し進んでいくと大山街道の右側に「光明寺」というお寺があります。
見慣れてきた「川崎歴史ガイド」の標識によると、
「光明寺と二子学舎」
浄土真宗光明時。江戸初期に二子塚から移された。農民たちも一緒に移住し、二子村を形づくっていく。明治7〜9年には「二子学舎」が置かれ、近代小学校教育の場となった。
とあります。
ここで出てくる「二子塚」とは、現在の高津区二子5丁目、6丁目付近にかつて2つの古墳があり、そこが「二子塚」と呼ばれていたそうです。
その町内には「二子塚公園」や二ヶ領用水に架かる橋「二子塚橋」などとして名称も残っているようです。こちらはまた別の機会に訪れてみようと思います。
この光明寺には、大貫雪之助の墓があります。
この大貫雪之助とは前回紹介した岡本かの子(岡本太郎の母)のお兄さんだそうです。
この大貫雪之助は第1高等学校在学中に文才を認められ、与謝野鉄幹・昌子夫妻の「新詩社」に参加し、東京帝国大学(現在の東京大学)在学中に活躍されたそうですが、大学を卒業した年に若くして病で亡くなられたそうです。
この光明寺の大山街道を挟んだ向かいに大貫家があったそうです。
そういえば、与謝野鉄幹は「久地梅林公園」の文学碑の説明でも登場してきましたね。皆さん、この辺りにゆかりのある方なのですね。
山門をくぐると正面に本堂があり、その左奥に墓地がありました。
写真は控えましたが、その奥には大きな楠があり、川崎市の「まちの樹50選」の1つとされているそうです。
また、山門と本堂の間の左側には鐘楼がありました。なかなか趣のある鐘楼ですね。
最近は街中で鐘の音を聞いたことがありませんが、どういう時に撞くのでしょうかね。一度この鐘の音を聞いてみたいものです。
大貫家跡地(二子二丁目公園)
その光明時の向かいにあった大貫家跡地は二子二丁目公園となっています。
こちらの「川崎歴史ガイド」によりますと
「大貫家の人々」
大貫家は岡本かの子の生家。若くして逝った兄・雪之助は藤村門下で、谷崎潤一郎とも親交が深かった。かの子は、のちに漫画家岡本一平と結婚。岡本太郎はその長男である。
とあります。
この公園、非常にこじんまりとしており、ジャングルジムとベンチしかありませんが、近隣の子供や子連れのお母さん方の憩いの場となっているようです。
最近は空き地になると駐車場やマンションになってしまう事が多く、この大山街道沿いでもそのような光景をよく目にする中、このように昔からの名所が残されるとホッとしますね。
さらに進むと・・・
この大山街道、ところどころにそれを示す標識や道標が立てられています。 |
少し進むと右側にひと際目立つ「釜」があります。直径は1.5mほどあるでしょうか。
こちらの飯島商店さんの看板にもなっているみたいで、
「この釜こそは、あのNHKテレビ大河ドラマ『黄金の日々』に出演し根津甚八ふんする市川五右衛門を釜ゆでにした代物である」
と立て看板がありました。
この飯島商店さん、地元の金物屋さんのようで、この大釜も以前は商品見本としていたそうです。
とにかくインパクトがあり目立ちます。
建物の構えも蔵造りとなっていて、この付近では名物になっているようです。
さてと、今回のお散歩はここまでとしましょう。
今回ぶらりと散策した周辺のマップです。 |
|
【お散歩日 2013年5月17日】 |
大山街道 〜その1〜 【2013年4月23日】
大山街道の概要
大山街道とは江戸赤坂御門を起点として、神奈川県伊勢原市にある大山阿夫利神社までの街道となります。
この大山阿夫利神社のある大山は雨を降らせる雨乞いの神様の山として知られています。江戸時代中期には庶民の間で「大山詣り」の道として盛んに利用されるようになり、「大山道」「大山街道」として呼ばれるようになったそうです。
また、江戸時代後期には静岡県のお茶やワサビなどの産物、秦野のタバコ等の物資を江戸に運ぶ大切な輸送路として利用され、庶民の生活が豊かになってきてから賑やかになった街道だそうです。
そんな大山街道の溝の口近辺をぶらりと散策してみたいと思います。
東京の世田谷区二子玉川から二子橋を渡ってくると、川崎市側の大山街道が始まります。
この二子橋は神奈川県の橋100選に選ばれているんですね。「かながわの橋100選」のプレートが貼ってありました。今までに数えきれないほど渡っている橋ですが、知りませんでした。
東京側から橋を渡り切ると川崎市側の大山街道が始まります。信号を渡った右側の柵で囲われているところ、ここはつい最近までは派出所があったのですが、無くなっていました。老朽化もあって、二子新地駅前に移転したそうです。
では、この辺りから溝の口駅の方へ、ぶらりと散策してみましょう。
二子の渡し
当時、まだ川を渡る手段として橋が無い頃、東京と神奈川の県境を流れる多摩川を渡る手段としてこの「二子の渡し」が大山街道を通行する人の足として利用されていました。
その後、大正14年に二子橋が完成してから、この渡しも役割を終えたそうです。しかし、最近では区やこの近辺のイベント時には「二子の渡し体験」として復活させることもあるそうです。
ただ、今回ぶらりしていて、「二子の渡し場入口」の道標や、プレート型の標識ははありましたが、実際に多摩川の岸辺のどの辺りに船着き場があったのかは定かではありません。
現在の二子橋は昭和53年に架け替えられたそうで、その以前の橋で使われていた親柱が、この「二子の渡し」の標識と並んで建てられていました。
この「二子の渡し」の標識と親柱は二子橋のたもとの信号を渡ったところの植え込みに、「二子の渡し場入口」の道標は大山街道へ入って少し先の信号を右に曲がったところにありました。
また、もう少し大山街道を先に進むと、左側のマンションの塀のところに当時の渡船場の様子を描いたレリーフが飾られていました。遠くには富士山も描かれていますね。
その後、もう一度多摩川方面に戻り、河川敷をブラブラしてみましたが、やはり渡船場の跡らしきものは見当たりませんでした。
そして、この二子近辺の河川敷は俳優の市原隼人さんが出演していたドラマ「ROOKIES」でもちょくちょくロケ地としても使われていました。自分の知っているところがドラマで出ているのを見ると、ちょっとテンションが上がりますよね。
余談ですが、この市原隼人さんは溝の口のご出身で、今でも溝の口に住まわれているとのこと。ちょくちょくこの溝の口近辺にも出没するとのことで、今までも何度か街中でお見かけしたことがあります。
3年ほど前の話ですが、溝の口で偶然お見かけしたときに思い切って声をかけてみました。完全にプライベートな市原隼人さんでしたが、写真撮影も気軽に応じていただけ、テレビで見る市原隼人さんと全く変わらず、気さくで優しいお兄ちゃんと言った感じでした。左の写真はそのときに一緒に撮っていただいたものです。
二子神社と「岡本かの子文学碑」
この近辺の多摩川沿いの道を通った事がある方ならば、写真のような白いモヤモヤっと天に伸びるオブジェを目にしたことがあるのではないでしょうか。
これは、あの「芸術は爆発だ!」でおなじみの芸術家の故・岡本太郎さんがお母さんの岡本かの子さんに捧げた記念碑だそうです。
岡本かの子さんは大正、昭和期の小説家、歌人であり、明治22年(1889年)、二子に居を構える豪商の旧家、大貫家の長女として生まれ、少女時代をこの多摩川のほとりで過ごし、生涯にわたり多摩川を愛したそうです。
そのような背景から、多摩川を見下ろすように、この記念碑が建てられたそうです。ちなみに庭園風の築山と台座の設計は建築家の丹下健三さんがされたそうです。今の東京都庁を設計された方ですね。
この記念碑、どちらが正面なのか分からなかったのですが、川崎市多摩区の生田緑地にある岡本太郎美術館のシンボルタワーとなっている「母の塔」と向かい合うように設計されているそうです。
なので、そちら方面が正面だったんですね。
紹介する順序が逆になってしまいましたが、この記念碑は二子神社の境内にあります。二子神社は大山街道側から参道があり、鳥居を二つくぐると社殿があります。
この二子神社の創立年代は不明であるとのことですが、現在の社殿は昭和18年に建築されたとのことです。
常駐する神職の方はいらっしゃらず、溝の口カイロプラクティック院の近くにある溝口神社が兼務しているらしいです。
ひっそりとした神社ですが、毎年10月9日に行なわれる例大祭には御神輿が出て多くの人で賑わうそうです。
その境内の右側に、小さな公園と先ほど紹介しました記念碑があります。
今回はこの辺りまでとしましょう。
今回ぶらりと散策した周辺のマップです。ご参考になさってください。
次回は、さらに南へ下って行きたいと思います。
【お散歩日 2013年4月23日】
お花見シーズンですね 〜ニヶ領用水の桜並木〜 【2013年3月22日】
溝の口周辺をブラブラするこの「のくちぃ散歩」、月に一回くらいのペースで更新していけたらと思っていたのですが、桜の開花が予想以上に早かったため、急遽、お散歩に出かけてきました。
ということで、今回の「のくちぃ散歩」は前回の梅の花に続き、桜の花を楽しみに行きました。
この季節になると、あちらこちらと桜の便りが届きますが、今回は溝の口カイロプラクティック院から最も近く、お手軽にお花見のできる「ニヶ領用水」沿いをお散歩してみました。東急線高架下から上流に向けてぶらぶらと・・・。
そもそもニヶ領用水は多摩川などを水源として、川崎市の多摩区から高津区、中原区を経て幸区まで流れる全長32Kmの神奈川県下で最も古い人工用水路だそうです。竣工されてから、もう400年以上も経つのだそうです。
かつては農業用水として農業を支えてきたニヶ領用水も、時間の経過とともに川沿いも宅地化が進み、工業用水などに用いられるとともに、近隣住民のお散歩コースにもなっています。
ご覧のように、溝の口近辺の川沿いは見事に桜のアーチに囲まれています。
治療院のすぐ近くではソメイヨシノではなく、何種類かの枝垂れ桜がメインとなっているようで、満開の桜もあれば、まだツボミの状態の桜もあり、長い間楽しめそうです。
このままニヶ領用水沿いを久地方面に歩いて行くと、国道246号線を渡る歩道橋があるのですが、そこから見下ろす桜も見事でした。
「久地円筒分水」の看板と桜 |
歩道橋から見下ろす桜並木 |
ソメイヨシノのアーチ |
満開のソメイヨシノ |
歩道橋を渡りきると、今度はソメイヨシノがメインになってくるようです。そのまま久地方面へ少し歩くと、国の登録有形文化財となっている「久地円筒分水」があります。あちらこちらに誘致を促す看板が立っています。
この円筒分水は、かつて農業用水として利用されていたニヶ領用水の水の取り合いの争いが絶えなかった経緯から、公平に水量配分されるようにと作られたそうです。
現在はその分水としての機能がどのくらいあるのかは分かりませんが、ここの桜もこの界隈では小さな名所となっています。
前回、久地梅林公園をブラブラしていたときも、公園にいたおじさんが、桜の時期はこの久地円筒分水の桜を見に行くといいよ、と教えてくれるほどでした。
本日もとても気候が良く、多くの方がお花見に訪れていました。ちょっとした広場などもあるので、シートを敷いてお弁当を、なんてシチュエーションが似合いそうです。
ここのソメイヨシノは満開間近といったところで、この週末が一番見頃かもしれません。
先にも書きましたが、ニヶ領用水沿いの枝垂れ桜は、まだまだこれから十分にお花見を楽しめると思いますので、皆さんもお天気の良い時にお散歩してみてはいかがでしょうか。
【お散歩日 2013年3月22日】
梅の花が綺麗でした 〜久地梅林公園〜 【2013年3月5日】
初回は、いきなり溝の口からは少し離れますが、前々から気になっていた「久地梅林公園」へ。
季節的にもちょうど良いと思い出掛けてきました。
溝の口近辺でも、実はあまり知られていない「久地梅林公園」。
うちへ来ていただいている患者さんに「久地梅林公園って知ってます?」とお伺いしても「ん?どこ?」という返事が多く返ってきます。
実は、私もこの公園の存在をはっきりと知ったのはつい先日でしたf(^^);
「梅林」という交差点は以前から知っていたのですが、梅林なんてどこにあるんだろう?となんとなく頭の中で考えていたくらいでした。
場所としては高津駅から府中街道を久地方面へ10分ほど歩いて、平瀬川を越えてすぐに右へ曲がると「久地梅林公園」はあります。
この辺りは江戸時代からの梅林だそうで、かつては多くの花見客で賑わっていたそうです。JR南武線の「久地」駅も、当時は「久地梅林」駅だったとのこと。
しかし、時間とともに梅の木も減ってきてしまい、かつての情景を取り戻そうということで、近隣の住民の方の意見を取り入れて、地域の特徴を活かしたみんなの憩いの場として2003年に「久地梅林公園」が整備されたそうです。
また、園内には当時、世田谷の砧に住んでいた北原白秋が与謝野鉄幹の還暦祝賀会に「梅」を題材にした歌を送るために、この近辺の久地梅林を訪れて、そのすばらしい梅の花に感動して詠んだ
「君(鉄幹)がため 未明(まだき)に起きて梅のはな 見に来りけり まさやけき花」
という歌碑が建てられていました。
|
|
---|---|
北原白秋が詠んだ句碑 |
文学碑の説明板 |
梅の花も白梅、紅梅、ボタンのようなピンク色の枝垂れ梅、青みがかった「青軸」という梅、などなど種類は豊富にありました。
本数的には圧倒されるほどの数はありませんが、小じんまりした公園にはちょうど良い景観だと思います。
また、園内には整備中ではありましたが、ちょっとした遊具もあり、お子様連れのお散歩にも良いと思います。
|
|
---|---|
綺麗なピンクのしだれ梅 |
白梅(種類はいろいろあるようです) |
遠目に見ると青みがかって見える「青軸」 |
遊具もありました(整備中のようです) |
また、公園の平瀬川沿いには、つぼみをつけた(おそらく)桜の木も数本ありましたので、梅が終わってからも楽しめそうな公園でした。
また、右の写真は後日(1週間後)、公園脇の民家の5分咲き程の紅梅を府中街道側から撮ったものです。なかなか見事なものでした。
やはり、昔からの梅林だけあって、付近の庭先にはちらほらと梅の木が植えられていますし、桜の木もかなりありそうです。これからお散歩にはちょうど良い季節ですので、みなさんも一度近隣を散策してみてください。
ちなみに、高津区の「区の木」は梅だそうです。
【お散歩日 2013年3月5日】