大山街道 〜その6〜 【2013年10月29日】
さてさて、前回は大山街道と溝の口の駅前通りの栄橋交差点まで来ました。
今回はそこからさらに南下して、南武線の反対側まで行ってみようと思います。
栄橋の交差点から少し進んでいくと、南武線の踏切があります。
その踏切の手前を左側に進んでいくと、レトロな昭和の雰囲気たっぷりな西口商店街があり、そこを通り抜けると東急線の東口、南武線の北口方面へ向かいます。
こちらの方はまた別の機会にするとして、そのまま踏切を越えて先に進みます。
濱田庄司記念碑
踏切を渡って程なく左側に陶芸家・濱田庄司の記念碑が建てられていました。
この濱田庄司は益子焼で人間国宝となった方で、前回訪れた宗隆寺にお墓が建てられていました。
昭和30年(1955年)に第一回の重要無形文化財および保持者(人間国宝)の指定・認定が行われたそうですが、濱田庄司はこの第一回に認定されました。
碑文には「巧匠不留跡」とあり、「名工は細工の跡を残さない」という意味だそうです。
その台石は三層に分かれており、上段は益子焼の赤色陶土を、中段には釉薬の白色を、下段には囲炉裏灰の黒色を表現しているそうです。
庚申塔
さきの記念碑のすぐ先には庚申塔が立てられています。また、こちらに立てられていたおなじみの川崎歴史ガイドによると
庚申塔と大山道標
「見ざる・聞かざる・言わざる」で知られた庚申信仰は、平安時代に始まる。
特に盛んになった江戸期、この地に作られた庚申塔は、大山街道をゆく旅人の道標をかねていた。
とありました。
庚申塔とは庚申塚とも言われ、歴史ガイドにも書かれているように中国から伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のことです。
このような庚申塔は全国各地に見られるようです。定かではありませんが、三叉路のあるところに多く建てられているようで、この庚申塔の側面三方には「西大山道」「東江戸道」「南加奈川道」と彫られているようです。以前はその三つの道の三叉路になっていたのでしょうね。
ねもじり坂
先に進むと、すぐに溝の口駅の南口の駅前通りとの交差点になります。
左に進むと溝の口駅の南口バスターミナル方面へ、右へ曲がると高津区役所へ。
そのまま交差点を直進すると、少しカーブをしながら緩やかな坂道となります。
程なく進むと、三叉路の角におなじみの「川崎歴史ガイド」が現れました。
ねもじり坂
「ねもじり」の由来は明らかでない。昔は今より急坂で、東京へ野菜を運び、帰りには下肥を積んでくる牛車・荷車などにとっては、別名「はらへり坂」とも呼ばれた場所であった。
とありました。
さて、まっすぐ進んでも坂、左へ曲がっても坂。どちらがねもじり坂なのでしょう?
近くにいた方にお伺いしてみると、左に曲がった方の坂がねもじり坂だそうです。ありがとうございました。
そのまままっすぐの道が大山街道になります。
それではさらに進んでみましょう。
笹の原の子育て地蔵
しばらく上り坂です。途中、左側から合流する道がありましたが、これが先ほどのねもじり坂になるようです。
さらに坂を上っていくと、左側に地蔵堂がありました。
川崎歴史ガイドによると
笹の原の子育て地蔵
子育て地蔵は、いわば「子授け地蔵」でもある。昔、西国巡礼から戻った村人が、子を授かったお礼に建てたという。
地元が講を作って守りつづけ、今も、子授けを願う人の姿がみえる。
とありました。
左側のお地蔵様がその子育て地蔵かと思いましたが、それは昭和19年(1944年)の久本の空襲で亡くなられた方々を弔うお地蔵様だそうです。
子育て地蔵は正面のお堂の中に奉られているそうです。
さらにしばらく進むと、田園都市線の梶ヶ谷駅の入り口のT字路を通り越し、そしてさらに進むと、国道246号線へと合流することになります。この国道246号線を進むと大山方面へ行くことになるのですね。
多摩川から始まった、この大山街道のぶらり散歩も今回でおしまいです。
次回はまた、どこかをぶらぶらしてみたいと思います。
ご参考までに、今回のお散歩マップです。
【お散歩日 2013年10月29日】